雑誌『民藝』11月号が届きました。表紙の見返しが、陳列についての柳の文章なのも編集部の思いが感じられますし、今月も志賀直邦さんの文章が冴え渡っています。
私は宗理館長に、なぜグッドデザインの品々の紹介を続けないのか聞いたことがあります。宗理の答えは「それがね、君、ないんだよ。今でも作り続けている品なんかほとんどないのだ」。『民藝』誌で紹介すべく資料を集めているうちに、内外ともに工業デザイン製品の寿命がいかに短いか、業者や消費者が移り気で、売らんがために絶え間ないモデルチェンジを繰り返すことに慣れてしまっていることに気づいたのでしょう。その後だいぶ経ってから「デザイナーとしての先生の後継者はどなたですか」と訊ねたとき、少し考えてから「いないな」といわれました。
では今、ロングライフデザイン、という言葉、d&departmentのような店があってくれることを進歩と見るか、ロングライフじゃないデザインのあまりの多さに辟易するか。人によって見方はさまざまでしょうが、個人的には前者の立場をとりつつも、業者や消費者の「移り気」が、単に工業製品だけではなく、昨今の手仕事ブームのように、「不易」を扱うこと自体を「流行」にする形として、作り手までも含めて、より露骨になっていることが気になります。
だからと言って、民藝という言葉を祭り上げて、宗教団体化するような試みにも、否と言いたい。それは志賀さんの今号の文章にもきっちりと記されています。外村が柳に厳しく諌められた話(6年前に僕が書いた文章でも、同じ箇所を引用しました。 http://foucault.tumblr.com/post/17755210333/ 参照。)を踏まえ、僕らがやるべきことを書いてくれています。
日々の暮らしの品々を作ること、それらを生活者に届ける仕事、それらの行為なくして民藝はわからないと柳はくり返し語ります。そういう理念のもとに、自らを到らないと知りつつ日々励むしかないのです。
「悩みのない生活は実に危ない」。先達からの想いの深い忠言です。しかと聞き、歩んでいきたいものです。
ビリヤード
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ランタン ケース (試作)